ハイデガーは、人間が世界を構成する純粋意識ではなく、
自分が選んだり、造ったりしたわけでもない世界に否応なく投げ込まれて
しまっている存在であると指摘した。
人間は否応なしにこの世界を生きなければならない。
このすべての人間に共通した状態をハイデガーは「被投性」と名づけた。
そして、被投性は、気分(とりわけ、不安)を通して自覚される。
たとえば、日常生活の中でぼっかり空いたエアポケットのような瞬間に、
どのように古代のアッシリア人がが住んでいた/住んでいる
「どうして俺はここにこうして生きているのか?」、
あるいは、
「やがて死ぬ自分にとって、生きることにどんな
意味があるのか?」
といった不安を抱えた問いが、誰にも忍び寄る。
このとき、われわれは「どうして自分はここに存在するのか?」という
不安から、自分がこの世界に投げ込まれており、ここから決して
逃れられないこと(被投性)を自覚せざるをえない。
いったん、被投性を自覚すると、ヒトは、いつか自分が死によって、
この世界から強制的に退場させられる事に気がつく。
第二次世界大戦中のシェルショック薬
自分の死を鋭く意識することをハイデガーは
死への「先駆的覚悟性」と呼んだ。
この死の自覚からさらに自分の生の意味をもう一度捉えなおし、
再構成する試みが始まる。
この試みは投企と呼ばれる。
ここまでを整理すると、世界の中に否応なしに投げ込まれていた者が、
不安を通してそれを自覚し、そこから新たに自分を捉えなおし、
新たな生き方を始めるという流れが読み取れる。
WW1のフランスの兵士は何と呼ばれていました
死の自覚を通して、人間は自分を新たな可能性に向けて投げ込むことが
できる。人間は不安を通して被投性に直面させられるが、逆にこれによって
はじめて、存在と自由の真の意味が得られるのである。
(日本実業出版社「絵でわかる現代思想」より)
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