2012年6月2日土曜日

体育の授業もダンレボ! 子どもの肥満解消に効果的と実証 - 米調査 | ホビー



米ウェストバージニア大学(West Virginia University)およびWest Virginia Public Employees Insurance Agency(PEIA)は、コナミのゲームソフト「ダンス・ダンス・レボリューション」(DDR: Dance Dance Revolution)を用いた、子どもたちの肥満対策プロジェクト「West Virginia Games for Health」に関する検証レポートを発表した。


感情や行動障害の評価

すでにウェストバージニア州では、ダンス・ダンス・レボリューションが子どもたちの健康に良い影響を及ぼすことを示した初期の調査プロジェクトが実施され、すべての公立学校の体育の授業などで、ダンス・ダンス・レボリューションを活用するカリキュラムを整備。この計画に賛同するKonami Digital Entertainment(コナミデジタルエンタテインメント)に加えて、同州知事、教育局などが、資金面でのサポートを提供しているという。

2012年5月19日土曜日

震災姉妹 最後のメールはデマ!? - Hagex-day.info


[Web] 震災姉妹 最後のメールはデマ!?

東北地方太平洋沖地震の被害を受けられた皆さまに、改めてお見舞いとお悔やみを申し上げます。

■Facebookで話題の投稿
3月6日火曜日、Facebookにポストされた「ある投稿」が大変話題になっている。3月9日午前4時35分現在、いいね!の数が1万1093人、シェアの数は3488件となっている。

一体どんな投稿なのか? 見てみよう。

文字が読めるでしょうか・・・

気仙沼で発見された携帯に残された最後のメールです。

この原稿は私が担当をしている新聞の
今月分の原稿です。
いつも手書き文字とイラストを書いています。

「もうバッテリがないよ
痛いと言わなくなったので
妹はさっき死んだみたいです。(T。T)
埼玉はだいじょうぶですか?
またお父さんと一緒に
ディズニーランドに行きたかったです
お父さん 今までありがとう
だいすきなお父さんへ
本当にありが

享年 長女17才 次女14才 」

真横で妹が死にゆくなか
どんな想いで暗黒と極寒の中、彼女はメールを
残したのでしょう。涙が止みません。

48才のお父様よりこの携帯を見せていただきました。

一周忌の11日(日) 宮城の地にて
祈りの会を行わせていただきます。

14時46分に黙祷を行います。
どうか、皆様各々の場所にて黙祷を御奉げくださいますよう。

「最後に伝えたかったこと
〜故人に伝えたい47のメッセージ〜」 はこのような
命の大切さを気づかせていただける、ご遺族様の機長な
言葉を、同じく手書き文字・挿絵いり のタッチで出版
いたしました。

点字本・朗読CDもまもなく完成予定です。

2012年5月18日金曜日

FDAが一部の後期肺癌に対してXalkori(クリゾチニブ)とコンパニオン診断薬を承認/FDAニュース | 海外癌医療情報リファレンス


FOR IMMEDIATE RELEASE:2011年8月26日
Media Inquiries: Erica Jefferson, 301-796-4988
Consumer Inquiries: 888-INFO-FDA

FDAが一部の後期肺癌に対してXalkoriクリゾチニブ)とコンパニオン診断薬を承認

診断薬とともに承認された今年で2件目の標的治療

米国食品医薬品局(FDA)は本日、末期(局所進行あるいは転移性)の非小細胞肺癌(NSCLC)で未分化リンパ腫キナーゼ(ALK)遺伝子変異を呈する患者の治療薬として、Xalkori(crizotinib 〔クリゾチニブ〕)を承認した。

Xalkoriは、患者にALK遺伝子変異があるかどうかの判定に有用なコンパニオン診断薬とともに承認された。この診断薬はVysis ALK Break Apart FISH Probe Kitと呼ばれ、この種の遺伝子検査薬としては初めてとなる。今年に入り、こうした標的治療薬がFDAに承認されたのは2件目である。

2012年5月15日火曜日

Notebook: 「小林克也のRadioBaka」  期限切れ遺失物移管所: 経済・政治・国際



 入院中の病室で書いています。

 以前にも書きましたが、二度目の入院です。

 大手術入院中でも病室で連載を続けた海老沢泰久氏の気分を味わうために。

 あるいは、1977年から78年にかけて麻薬中毒と極度の鬱病に襲われて精神病院に長期入院を余儀なくされ、病室で抱いた看護婦への妄想とか、退院した後の将来への不安とか、精神病院をテーマにしたコンセプトアルバム From the Inside を、当時エルトンと仲違いしていたバーニー・トーピンと一緒に作ったアリス・クーパーの気分を味わうために。

 なかなか希な機会だとは思いますので。あまり多かったら困るけど。

 私の場合は検査入院なので、気楽なもんですが。

 ある人に言わせれば、病院とは、生きて出て行くか、ダメで戻れないか、そういうところだと割り切れ、と。

 そんな中で、縁起でもない(?)話題を書きます。

 アーティストの訃報。

 2回前の記事でしたか。ジャーニーの新加入ヴォーカルがフィリピン人だということで、フィリピンの不思議な音楽事情にちょっと触れ、日本以上に70年代、80年代のお洒落ポップスが受け入れられている国かもしれない、と書き、このグループを紹介しました。その時の本文をそのままコピペします。

2012年5月13日日曜日

投企(ハイデガー)



 ハイデガーは、人間が世界を構成する純粋意識ではなく、
自分が選んだり、造ったりしたわけでもない世界に否応なく投げ込まれて
しまっている存在であると指摘した。

 人間は否応なしにこの世界を生きなければならない。
 このすべての人間に共通した状態をハイデガーは「被投性」と名づけた。

 そして、被投性は、気分(とりわけ、不安)を通して自覚される。

 たとえば、日常生活の中でぼっかり空いたエアポケットのような瞬間に、

2012年5月11日金曜日

世界恐慌 - Wikipedia


世界恐慌(せかいきょうこう)とは、世界的規模で起きる経済恐慌(world crisis)のこと[1]、あるいは1929年に始まった経済不況(The Great Depression)を指す。後者の事件は大恐慌世界大恐慌とも言われる。

当記事では、世界恐慌の概要とともに、とくに1929年から発生した世界恐慌について詳述する。

ある国の恐慌が次々と他国へと波及し、世界的規模で広がる事象を世界恐慌という[2]

マルクス経済学では、資本主義諸国の経済の有機的連関によって、資本主義経済の矛盾も世界的に爆発的に広がる危険性を持つと捉える[3]。恐慌がこうした要因で波及した世界恐慌の最初の例として、クリミア戦争が終結した時に穀物価格が急落したことにより1857年に起こった恐慌[4][5][6]が挙げられる。

上の分類における世界恐慌のもっとも代表的な例が1929年にアメリカ合衆国のウォール街で起きたパニックをきっかけに世界各国を襲った大恐慌であり[7]、単に「世界恐慌」と書いてこの1929年の事件を表す場合もある。

また、2008年の金融危機に始まる一連の不況も「世界恐慌」と呼ばれる場合がある[8][9][10]。ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンも、世界的な景気後退状況について「これは、まさに第二次世界恐慌(a second Great Depression)の始まりと思われる」と述べた[11]。(こちらに関しては、「世界金融危機 (2007年-)」の記事も参照)

[編集] 1929年に始まった世界恐慌

1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを端緒として世界的な規模で各国の経済に波及した金融恐慌、および経済後退が起きた。1929年10月24日は「暗黒の木曜日」(Black Thursday)として知られ、南北戦争に次ぐアメリカの悲劇といわれた。

[編集] 背景

第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは大戦への輸出によって発展した重工業の投資、帰還兵による消費の拡張、モータリゼーションのスタートによる自動車工業の躍進、ヨーロッパの疲弊に伴う対外競争力の相対的上昇、同地域への輸出の増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的好況を手に入れた。

1920年代前半に既に農作物を中心に余剰が生まれていたが、ヨーロッパに輸出として振り向けたため問題は発生しなかった。しかし農業の機械化による過剰生産とヨーロッパの復興、相次ぐ異常気象から農業恐慌が発生。また、第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力も追いつかず、社会主義化によるソ連の世界市場からの離脱などによりアメリカ国内の他の生産も過剰になっていった。

また、農業不況に加えて鉄道や石炭産業部門も不振になっていたにもかかわらず投機熱が煽られ、適切な抑制措置をとらなかった。アメリカの株式市場は1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって長期上昇トレンドに入った。株式で儲けを得た話を聞いて好景気によってだぶついた資金が市場に流入、個人投資家も、信用取引により容易に借金が出来、さらに投機熱は高まり、ダウ平均株価は5年間で5倍に高騰。1929年9月3日にはダウ平均株価381ドル17セントという最高価格を記録した。市場はこの時から調整局面を迎え、続く1ヶ月間で17%下落したのち、次の1週間で下落分の半分強ほど持ち直し、その直後にまた上昇分が下落するという神経質な動きを見せた。それでも投機熱は収まらず、のちにジョセフ・P・ケネディはウォー� �街の有名な靴磨きの少年が投資を薦めた事から不況に入る日は近いと予測し、暴落前に株式投資から手を引いたと[12]述べた。

[編集] 展開

そのような状況の下1929年10月24日10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。下落直後の寄り付きは平穏だったが、間もなく売りが膨らみ株式市場は11時頃までに売り一色となり、株価は大暴落した。この日だけで1289万4650株が売りに出されてしまった。ウォール街周囲は不穏な空気につつまれ、400名の警官隊が出動して警戒にあたらなければならなかった。

シカゴとバッファローの市場は閉鎖され、投機業者で自殺した者はこの日だけで11人に及んだ。この日は木曜日だったため、後にこの日は「暗黒の木曜日(Black Thursday)」と呼ばれるようになった。翌25日金曜の13時、ウォール街の大手株仲買人と銀行家たちが協議し、買い支えを行うことで合意した。このニュースでその日の相場は平静を取り戻したが、効果は一時的なものだった。

週末に全米の新聞が暴落を大々的に報じたこともあり、28日には921万2800株の出来高でダウ平均が一日で13%下がるという暴落が起こり、更に10月29日、24日以上の大暴落が発生した。この日は取引開始直後から急落を起こした。最初の30分間で325万9800株が売られ、午後の取引開始早々には市場を閉鎖する事態にまでなってしまった。当日の出来高は1638万3700株に達し(これは5日前に続く記録更新であり、以後1969年まで破られなかった)、株価は平均43ポイント(ダウ平均で12%)下がり、9月の約半分ぐらいになってしまったのである。一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルが失われた計算になったが、これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。

投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。この日は火曜日だったため、後にこの日は「悲劇の火曜日(Tragedy Tuesday)」と呼ばれるようになった。そしてアメリカ経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻することになる。

過剰生産によるアメリカ工業セクターの設備投資縮小に始まった不況に金融恐慌が拍車をかけ、強烈な景気後退が引き起こされた。

産業革命以後、工業国では10年に1度のペースで恐慌が発生していた。しかし1930年代における恐慌(世界恐慌)は規模と影響範囲が絶大で、自律的な回復の目処が立たないほど困難であった。

[編集] 大不況から世界恐慌へ

第1次世界大戦後の米国経済の圧倒的な存在感(当時世界の金の半分以上が米国に集まっていた)のため、一般的には米国の株価暴落がそのまま世界恐慌につながったとされているが、バーナンキをはじめとする経済学者は異なる見解を示している[13]

1929年のウォール街の暴落は米国経済に大きな打撃を与えた。しかし当時は株式市場の役割が小さかったために被害の多くはアメリカ国内にとどまっており、当時の米国経済は循環的不況に耐えてきた実績もあった。不況が世界恐慌に繋がったのは、その後銀行倒産の連続による金融システムの停止に、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の金融政策の誤りが重なったためであった。

暴落の後、米国には金が流入していたが、FRBはこれを不胎化させ、国内のマネーストックの増大とは結び付けようとしなかった。これにより米国では金が流入しているにも関わらずマネーストックが減少し続けた。その為金本位制をとる各国は金の流出に対し、金融政策を米国のそれと順応させるを得ず(各国は金の流出を抑えるために金利を引き上げざるを得なかった)、不況は国際的に伝播していった。

特に金本位制を取っていたドイツやオーストリアや東欧諸国は十分な金準備を持たず、また第一次世界大戦とその後のインフレにより金融システムが極めて脆弱な状態であった。その為、米国やフランスへの金流出により金準備が底をついてしまい、金融危機が発生した。

大不況が世界に広まるきっかけとなったのは1931年5月11日のオーストリアの大銀行クレジットアンシュタルト(Creditanstalt, 1855年にロスチャイルド男爵により設立。クレディ・アンシュタルトとも。)の破綻であったとされる。クレジットアンシュタルトは株価暴落に伴う信用収縮の中で突然閉鎖した。東欧諸国の輸出が激減し経常収支が赤字となり、旧オーストリア帝国領への融資が焦げ付いたこと、加えて政府による救済措置が適切に行われなかったことが破綻の原因となった。オーストリア向けの融資が焦げ付いた要因としては、3月の独墺関税同盟の暴露に対するフランスの経済制裁により、オーストリア経済が弱体化したことが致命的であった。

クレジットアンシュタルトの破綻を契機として、5月にドイツ第2位の大銀行・ダナート銀行(「ダルムシュテッター・ウント・ナティオナール」)が倒産し、7月13日にダナート銀行が閉鎖すると、大統領令でドイツの全銀行が8月5日まで閉鎖された。ドイツでは金融危機が起こり、結果多くの企業が倒産し、影響はドイツ国内にとどまらず東欧諸国、世界に及んだ。

当時の米国大統領、ハーバート・フーヴァーの「株価暴落は経済のしっぽであり、ファンダメンタルズが健全で生産活動がしっかり行われている(ので大丈夫)」という発言は末永く戒めとして記憶されることになった(当時の大経済学者アーヴィング・フィッシャーエール大学教授の所論でもあった)。

2012年5月8日火曜日

ろーかるねっと 活動記録: 検索結果


お仕事的にはむしろ進捗あげはじめたところなんですが、私生活側がどうもひと段落してしまった感じがありまして。
お引越し関連のイベントも片付いたし、年度末も片付いたし、急激に盛り上がったD&D熱は実践が出来てないところで止まってるし、と。

お引越しといえば、公共料金系は何かいろいろと性格が出てるようで、振り返って対比すると面白いっすね。

1.電気
使い始めるにあたっては一番フランク。ブレーカーを戻せば動くし(この動作は大抵知ってる)、それでいいって案内されている。
ただし料金支払い関連は一番融通が利かない。クレカ払いを始めたい場合は、まずクレカ用の払い込み用紙を取り寄せて、
それに記入して返送してその翌月からクレカ扱い。手続きに時間がかかるので初月は振込用紙からコンビニ入金になってしまう。

2.水道
使い始めるにあたっては自身で開栓作業をする必要がある。ブレーカーよりはレアな動作。古い物件だとバルブ式で力が要る。
料金の支払い手順はほぼ電気と一緒だけど、クレカ払いされるなら翌月まとめて落とすよって連絡きて振込用紙は不要。
これは実に気がきいている。

3.ガス
使い始めるにあたって開栓のため人に来てもらう必要がある。一番面倒くさい。
ただし料金の支払いは、最初からクレカ申し込みが出来て、対応も早かった。